源氏物語 「心づくしの秋風」 現代語訳

[訳:蓬田(よもぎた)修一]

[原文]

須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、
行平中納言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、
またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり。

御前にいと人少なにて、うち休み渡れるに、
独り目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、
波ただここもとに立ちくる心地して、
涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。
琴を少しかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、

 恋ひわびて なく音にまがふ 浦波は 思ふ方より 風や吹くらむ

とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、
忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみ渡す。

[現代語訳]

須磨では、ますます物思いを募らせる秋風が吹いて、海は少し遠いけれど、
行平中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという浦波が、夜ごと本当にすぐ近くに聞こえて、
またとなくしみじみとするのは、このような場所の秋なのであった。

(源氏の)御前にはとても人が少なくて、(誰もが)少し寝入っている時に、
(源氏が)ひとり目を覚まして、枕から頭をもたげて四方の激しい風をお聞きになると、
波がすぐここに打ち寄せて来るような気持ちがして、
涙が落ちたことすら気が付かないけれども、(涙で)枕が浮くほどになってしまった(=涙で枕がとても濡れてしまった)。
琴(こと)を少しかき鳴らしになられたが、自分でもとても物寂しく聞こえるので、弾くのを途中でおやめになり、

 恋しさに苦しんで (都に住んでいる人が)泣く声に聞き間違いそうな 浦波(の音)は 私のことを思っている人(紫の上)のいる方角(都)から 風が吹いているからだろうか

とおうたいになっていると、人々が目を覚まして、素晴らしいと思われて、
悲しさをこらえきれなくなって、ただ訳もなく起きて座り、みんな鼻をそっとかんでいる。