カテゴリー別アーカイブ: 源氏物語

源氏物語 「心づくしの秋風」 現代語訳

[訳:蓬田(よもぎた)修一]

[原文]

須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、
行平中納言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、
またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり。

御前にいと人少なにて、うち休み渡れるに、
独り目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、
波ただここもとに立ちくる心地して、
涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。
琴を少しかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、

 恋ひわびて なく音にまがふ 浦波は 思ふ方より 風や吹くらむ

とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、
忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみ渡す。

[現代語訳]

須磨では、ますます物思いを募らせる秋風が吹いて、海は少し遠いけれど、
行平中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという浦波が、夜ごと本当にすぐ近くに聞こえて、
またとなくしみじみとするのは、このような場所の秋なのであった。

(源氏の)御前にはとても人が少なくて、(誰もが)少し寝入っている時に、
(源氏が)ひとり目を覚まして、枕から頭をもたげて四方の激しい風をお聞きになると、
波がすぐここに打ち寄せて来るような気持ちがして、
涙が落ちたことすら気が付かないけれども、(涙で)枕が浮くほどになってしまった(=涙で枕がとても濡れてしまった)。
琴(こと)を少しかき鳴らしになられたが、自分でもとても物寂しく聞こえるので、弾くのを途中でおやめになり、

 恋しさに苦しんで (都に住んでいる人が)泣く声に聞き間違いそうな 浦波(の音)は 私のことを思っている人(紫の上)のいる方角(都)から 風が吹いているからだろうか

とおうたいになっていると、人々が目を覚まして、素晴らしいと思われて、
悲しさをこらえきれなくなって、ただ訳もなく起きて座り、みんな鼻をそっとかんでいる。




源氏物語 「廃院の怪(夕顔)」 現代語訳

[訳:蓬田(よもぎた)修一]

[原文]

宵過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに、御枕上(まくらがみ)に、いとをかしげなる女ゐて、
「おのがいとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思ほさで、
かく、ことなることなき人を率(ゐ)ておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」
とて、この御かたはらの人をかき起こさむとすと見たまふ。
物に襲(おそ)はるる心地して、おどろきたまへれば、火も消えにけり。
うたて思(おぼ)さるれば、太刀(たち)を引き抜きて、うち置きたまひて、右近(うこん)を起こしたまふ。
これも恐ろしと思ひたるさまにて、参り寄れり。
「渡殿(わたどの)なる宿直人(とのゐびと)起こして、
『紙燭(しそく)さして参れ』と言へ」とのたまへば、
「いかでかまからむ。暗うて」と言へば、
「あな、若々し」
と、うち笑ひたまひて、手をたたきたまへば、山彦(やまびこ)の答ふる声、いとうとまし。
人え聞きつけで参らぬに、この女君、いみじくわななきまどひて、いかさまにせむと思へり。
汗もしとどになりて、我かの気色なり。
「物怖(お)ぢをなむわりなくせさせたまふ本性(ほんじやう)にて、いかに思さるるにか」
と、右近も聞こゆ。
「いとか弱くて、昼も空をのみ見つるものを、いとほし」と思して、
「我、人を起こさむ。
手たたけば、山彦の答ふる、いとうるさし。
ここに、しばし、近く」
とて、右近を引き寄せたまひて、西の妻戸に出でて、戸を押し開けたまへれば、渡殿の火も消えにけり。

[現代語訳]

宵(=夜十時ごろ)が過ぎたころ、少しご就寝なさっていると、枕元にたいへん美しい様子の女が座って、
「私がとてもすばらしい男性だとお慕い申しているのに、お訪ねくださらず、
このようにすぐれた点のない人(=夕顔のこと)をお連れなさって、ご寵愛になるのは、ほんとうに意外なことで辛いことです」
と言って、源氏のおそばの人(=夕顔のこと)を引き起こそうとする夢をご覧になる。
物に襲われるような気持ちになって目を覚ますと、灯(ひ)も消えてしまっていた。
うす気味悪く思われたので、太刀(たち)を(鞘(さや)から)引き抜いて、そばにお置きになって、右近(うこん=夕顔のお付きの侍女)をお起こしになる。
右近も恐ろしいと思っている様子でおそばに寄ってきた。
渡殿(=渡り廊下)にいる宿直の人を起こして、
「紙燭(しそく=細い松の棒で、手で持つ部分に紙を巻いた照明具)をつけて参れと言ってくれ」
とおっしゃると、
(右近が)「どうして行けましょう。暗くて」
というと、
(源氏は)「なんと、子どものような」
とお笑いになって、手をたたいて(人を呼ぶと)、こだまが返ってくる音がひどく気味が悪い。
誰も(源氏が呼んだ音を)聞きつけることができず、参る人がいないうえに、この女君(=夕顔のこと)はひどく震え取り乱して、どうしたらよかろうと思った。
汗もぐっしょりとなって、茫然自失となり生気を失った様子である。
「(夕顔は普段から)物を怖がりになるご性分で、どんなお気持ちでいらっしゃるか」
と右近も申し上げる。
(夕顔は)たいそうか弱くて、昼も空ばかりを見ていたものだから、(源氏は)かわいそうにお思いになって、
(源氏は)「私が人(=随身たち)を起こそう。
手をたたくとこだまが返ってくるのが、ひどくやかましい。
ここに、少しの間、近くにいてくれ」
と言って、右近を近くに引き寄せになられて、西の妻戸(つまど)に出て、戸を押してお開きになると、渡殿の火(=渡り廊下にともしてあった火)も消えてしまった。


 

[原文]

風すこしうち吹きたるに、人は少なくて、さぶらふ限りみな寝たり。
この院の預りの子、むつましく使ひたまふ若き男、また上童(うへわらは)一人、例の随身(ずいじん)ばかりぞありける。
召せば、御答(いら)へして起きたれば、
「紙燭さして参れ。
『随身も、弦打(つるう)ちして、絶えず声(こわ)づくれ』と仰(おほ)せよ。
人離れたる所に、心とけて寝ぬるものか。
惟光朝臣(これみつあそん)の来たりつらむは」
と、問はせたまへば、
「さぶらひつれど、仰せ言もなし。暁に御迎へに参るべきよし申してなむ、まかではべりぬる」と聞こゆ。
このかう申す者は、滝口なりければ、弓弦(ゆづる)いとつきづきしくうち鳴らして、
「火あやふし」
と言ふ言ふ、預りが曹司(ざうし)の方(かた)に去(い)ぬなり。
内裏(うち)を思しやりて、
名対面(なだいめん)は過ぎぬらむ、滝口の宿直奏(まう)し今こそと、推し量りたまふは、まだ、いたう更けぬにこそは。

[現代語訳]

風が少し吹いているうえに、人気(ひとけ)が少なく、お付きの者たちはみな寝ている。
この院の留守役の子で、親しくお使いになっている若い男、ほかに殿上童(てんじょうわらわ)ひとり、そしていつもの随身しかいない。
お呼びになると、お答えになって起き上がるので、
(源氏は)「紙燭をつけて持ってまいれ。
随身も弦打ち(つるうち=魔除けのために矢をつがえない弓の弦を引いて音を出すこと)して、声を絶えず出せと言いつけよ(と院の留守役の子を通して随身に命じた)。
人気のないところで気を許して寝てなるものか。
惟光朝臣(これみつあそん)が来ていただろうがどうした」
と質問されると、
(院の留守役の子は)「おそばにいましたが、仰せごともないので、明け方にお迎えに参上しようとの旨を申し上げて、退出いたしました」
と申し上げる。
こう申し上げる者は滝口の武士なので、弓弦(ゆづる)を大変似つかわしく打ち鳴らして
「火の用心」
と言い言い、留守役の部屋のほうへ行くようである。
(源氏は)宮中をお思いやりになって、滝口の名対面(なだいめん=出勤報告)の時間はもう過ぎただろう、滝口の宿直奏(とのいもうし=点呼を受けて名乗ること)はちょうど今頃だと推測なさるのは、まだそれほど夜が更けていないからだろう。

[原文]

帰り入りて、探りたまへば、女君はさながら臥(ふ)して、右近はかたはらにうつぶし臥したり。
「こはなぞ。
あな、もの狂ほしの物怖ぢや。
荒れたる所は、狐(きつね)などやうのものの、人を脅やかさむとて、け恐ろしう思はするならむ。
まろあれば、さやうのものには脅されじ」
とて、引き起こしたまふ。
「いとうたて、乱り心地の悪(あ)しうはべれば、うつぶし臥してはべるや。
御前(おまえ)にこそわりなく思さるらめ」と言へば、
「そよ。などかうは」
とて、かい探りたまふに、息もせず。
引き動かしたまへど、なよなよとして、我にもあらぬさまなれば、
「いといたく若びたる人にて、物にけどられぬるなめり」
と、せむかたなき心地したまふ。
紙燭持て参れり。
右近も動くべきさまにもあらねば、近き御几帳(みきちやう)を引き寄せて、
「なほ持て参れ」
とのたまふ。
例ならぬことにて、御前近くもえ参らぬ、つつましさに、長押(なげし)にもえのぼらず。
「なほ持て来(こ)や、所に従ひてこそ」
とて、召し寄せて見たまへば、ただこの枕上に、夢に見えつる容貌(かたち)したる女、面影に見えて、ふと消え失(う)せぬ。
「昔の物語などにこそ、かかることは聞け」
と、いとめづらかにむくつけけれど、まづ、
「この人いかになりぬるぞ」
と思ほす心騒ぎに、身の上も知られたまはず、添ひ臥して、
「やや」
と、おどろかしたまへど、ただ冷えに冷え入りて、息はとく絶え果てにけり。

[現代語訳]

(源氏は部屋に)お帰りになって手探りをなさると、夕顔はもとのまま倒れていて、右近はそのそばにうつぶして横になっている。
(源氏は)「これはどうしたことだ。なんとも狂ったほどの恐がりではないか。荒れた所は狐などのようなものが人を恐がらせようとして、なんとなく恐ろしいと思わせるのだろう。私がいるのだから、そのような物には脅かされることはないのだ」
と言って、(右近を)引き起こされる。
(右近は)「ますます気分が悪くなっていきますので、うつぶせになっていたのでございます。夕顔様のほうがむやみに恐がっているようです」
と言えば、
(源氏は)「そう、そのことだ。どうしてこんなに」
と(夕顔を)手探りなさると、息もしていない。
ゆさぶりなさってみるが、ぐったりとして、気を失っている様子であるので、たいそう子どもみたいな人で物の怪(け)に生気を奪われてしまったのであろうと、途方にくれたお気持ちになる。
(滝口が)紙燭を持って来た。
右近も動くこともできない様子であるので、(源氏は)近くにある几帳(きちょう)をお引き寄せになって、
「もっと近くへ持って参れ」
とおっしゃる。
(滝口が貴人が女性と寝ているそばまで呼び入れられるのは)普段はないことなので、おそば近くにも参上することができない遠慮のため、長押(なげし=部屋との境目にはめてある横長の角材)にも上がれない。
(源氏は)「もっと近くへ持って来るのだ。(遠慮するのは)その場に応じてするもので、今はその必要はない」
と言ってお取り寄せになって、(夕顔を)ご覧になると、枕元に夢に見た容貌の女が幻想になって見えて、ふいに消え失せてしまった。
昔の物語などにはこうしたことは聞くけれど、めったにないことで気味が悪いけれど、まずこの人(=夕顔)がどうしてしまったのかとお思いになる気持ちで、(物の怪にとりつかれた人に近寄るのは危険であるが)自分の身がどうなるかもお構いなく、(夕顔に)寄り添って、「これこれ」と目を覚ませようとなさるけれど、ただ(からだが)どんどん冷たくなっていって、息はとっくに絶え果てている。


 

[原文]

言はむかたなし。
頼もしく、いかにと言ひ触れたまふべき人もなし。
法師などをこそは、かかる方の頼もしきものには思すべけれど。
さこそ強がりたまへど、若き御心(みこころ)にて、いふかひなくなりぬるを見たまふに、やるかたなくて、つと抱きて、
「あが君、生き出でたまへ。
いといみじき目な見せたまひそ」
とのたまへど、冷え入りにたれば、けはひものうとくなりゆく。
右近は、ただ
「あな、むつかし」
と思ひける心地みな冷めて、泣き惑ふさまいといみじ。
南殿(なんでん)の鬼の、なにがしの大臣(おとど)おびやかしけるたとひを思し出でて、心強く、
「さりとも、いたづらになり果てたまはじ。夜の声はおどろおどろし。
あなかま」
と諌(いさ)めたまひて、いとあわたたしきに、あきれたる心地したまふ。
(夕顔)

[現代語訳]

どうにも言いようがない。
頼りになる、どうしたらいいだろうとご相談できる人もいないし、法師などであったら、こんなときの頼もしい人物だとお思いになれるだろうが。
あれほど強がりをおっしゃっていたけれど、お若いことであるから、(夕顔が)何を言っても、もはやどうにもならなくなったのをご覧になると、たまらない気持ちになって、つい抱きしめて、
「あが君よ、生き返っていただきたい、ひどい目を見させないでください」
とおっしゃるけれど、すっかり冷えてしまったので、(生きている)人の感じがしなくなっていく。
右近はただ気味が悪いと思っていた気持ちがすっかりなくなってしまい、泣き乱れる様子はまことにひどいものだ。
(源氏は)南殿(なんでん)の鬼が某(なにがし)の大臣(おとど)を脅かした例をお思い出しになって、気を強く持って、
「そうは言っても、死んでしまうことはないだろう。夜中の声はおおげさに聞こえる。静かに」
とお諫(いさ)めになって、大変なあわただしさに途方にくれるお気持ちになる。
(夕顔)


 

源氏物語 「光源氏の誕生」 現代語訳

[訳:蓬田(よもぎた)修一]

[原文]

いづれの御時(おほんとき)にか、女御(にようご)、更衣(かうい)あまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方(おほんかた)がた、
めざましきものにおとしめそねみたまふ。
同じほど、それより下臈(げらふ)の更衣たちは、ましてやすからず。
朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、
恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、
もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、
人のそしりをもえ憚(はばか)らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
上達部(かむだちめ)、上人(うへびと)なども、あいなく目をそばめつつ、
いとまばゆき人の御おぼえなり。
唐土(もろこし)にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれと、
やうやう天(あめ)の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、
楊貴妃(やうきひ)の例も引き出でつべくなりゆくに、
いとはしたなきこと多かれど、
かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて交じらひたまふ。

[現代語訳]

どの帝の御代(みよ)であったか、女御や更衣がたくさんお仕えしていた中に、
それほど重々しい家柄ではない方で、目立って帝のご寵愛を受けていらっしゃった方がいた。
(宮仕えの)初めから、我こそは(帝のご寵愛を受ける自信がある)と思って宮中にお上がりになった方々は、
(この更衣が)目に余り気に入らず、さげすみ、うらやんで憎らしくお思いになる。
同じ身分、あるいはそれより低い身分の更衣たちは、なおさら気持ちがおだやかでない。
朝夕の宮仕えにつけても、人の気をもませてばかりいて、
恨みを受けることが積もり積もった結果であろうか、すっかり病気がちになってしまった。
(更衣が)何となく頼りなげで里下がりしがちになるのを、(帝は)ますます不憫だとお思いになって、
人の非難をもはばかることなく、世の中の話の種にもなってしまいそうなもてなさり方である。
上達部(かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと=清涼殿の殿上の間に昇ることを許された貴族。四位と五位で特に許された人と六位蔵人)なども、困ったことだと目をそむけながら、
ほんとうに見ていられないほどのご寵愛ぶりである。
中国でも、こうしたことが始まりとなって、世の中が乱れ、ひどいことになったのだと、
だんだんと世間でも苦々しいことだと、人々の扱いかねる悩みの種となって、
楊貴妃(ようきひ)の例(=唐の玄宗皇帝が楊貴妃への愛に溺れて世の中が乱れたという先例)をも持ち出しかねないような状況になっていく。
(更衣は)いたたまれないほどにきまりが悪い思いをすることが多いのだけれど、
恐れ多い(帝の)心遣いがたぐいないのを頼みに宮仕えをしていらっしゃる。


[原文]

父の大納言は亡くなりて、
母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、
親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、
なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、
とりたててはかばかしき後ろ見しなければ、
事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。

[現代語訳]

(更衣の)父の大納言は亡くなり、
母の北の方というのが古風な教養のある人で(あったので)、
両親がふたり揃い、当面、世間の信頼がはなやかな方々にも、たいしてひけをとらず、
どのような儀式(=宮中の行事やしきたり)も取り計らったけれど、
これといって格別な後見人(=経済的、政治的な後ろ盾)がいないので、
あらたまったことがあるときは、やはり頼るあてがなく心細げな様子である。

[原文]

先の世にも御契りや深かりけむ、
世になく清らなる玉の男御子(をのこみこ)さへ生まれたまひぬ。
いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、
めづらかなる児(ちご)の御容貌(かたち)なり。
一の皇子(みこ)は、右大臣の女御の御腹にて、
寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづききこゆれど、
この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、
おほかたのやむごとなき御思ひにて、
この君をば、私物(わたくしもの)に思ほしかしづきたまふこと限りなし。

[現代語訳]

(帝とこの更衣とは)前世でもご宿縁が深かったのだろうか、
世にまたとない、気品があり清らかで美しい玉のような皇子までがご誕生なされた。
(帝は皇子を)まだかまだかと待ち遠しくお思いになられ、
急いで(宮中に皇子を)お召しになられてご覧になると、
これまでに見たこともないすぐれた器量である。
第一の皇子は、右大臣家出身の女御がお生みになられた方で、
後ろ盾がしっかりしていて、疑いもないお世継ぎの君と、
世間の人たちは大切にお世話をなさるけれど、
(生まれたばかりの弟宮の)お美しさにはとてもお並びようがないので、
(帝は第一の皇子のことは公人として)ひととおりの大切な方とお思いになるだけで、
弟君のほうを、私人としての大切な子というお気持ちでご寵愛なさること限りがない。


 

源氏物語 「北山のかいま見」 現代語訳


[訳:蓬田(よもぎた)修一]

[原文]

日もいと長きにつれづれなれば、夕暮れのいたうかすみたるに紛れて、
かの小柴垣(こしばがき)のもとに立ち出でたまふ。
人々は帰したまひて、惟光朝臣(これみつのあそん)とのぞきたまへば、
ただこの西面(にしおもて)にしも、持仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。
簾(すだれ)少し上げて、花奉るめり。
中の柱に寄りゐて、脇息(けふそく)の上に経を置きて、
いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。
四十余(よそぢよ)ばかりにて、いと白うあてに、やせたれど、つらつきふくらかに、
まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、
なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見たまふ。

[現代語訳]

一日もたいそう長く、することもないので、夕暮れがとても霞んでいるのに紛れて、
(源氏は)例の小柴垣のあたりにお出かけになれれた。
供(とも)の人たちはお帰しになられて、惟光朝臣と(いっしょに垣の内を)おのぞきになると、
(そこにいたのは)すぐそこの西向きの部屋で、仏像をお据え申し上げてお勤めをしている尼であった。
簾(すだれ)を少し巻き上げて、花をお供えしているようだ。
部屋の中央の柱に寄りかかって、脇息の上にお経を置き、
たいへん大儀そうにお経を読んでいた尼君はただ者とは思えない。
四十歳過ぎで、とても色白で上品で、痩せているけれど頬はふっくらとして、
目もとのあたりや、美しく(肩のあたりで)切りそろえられた髪の端というのも、
(源氏は)かえって長い髪よりも格別に今風であるものよと、しみじみとご覧になる。

[原文]

清げなる大人二人ばかり、さては童(わらは)べぞ出で入り遊ぶ。
中に、十ばかりにやあらむと見えて、
白き衣(きぬ)、山吹(やまぶき)などのなえたる着て、走り来たる女子(をんなご)、
あまた見えつる子供に似るべうもあらず、
いみじく生ひ先見えて、うつくしげなるかたちなり。
髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。

[現代語訳]

こざっぱりしたふうの女房がふたりほど、そのほかに女の子が出たり入ったりして遊んでいる。
その中に、十歳ばかりであろうかと思われる、
白い下着に、山吹襲(かさね)などの(着慣れて)よれよれになったのを着て走って来た女の子は、
大勢(姿を)見せた子たちとは比べようもなく、大きくなってからは(きっと美しい女性になるだろうと)思われる、かわいらしい顔立ちである。
髪型は扇を広げたようにゆらゆらとして、(泣いた後なので)顔を赤くして立っていた。

 

[原文]

「何事ぞや。童べと腹立ちたまへるか」とて、
尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。
「すずめの子を犬君(いぬき)が逃がしつる。
伏籠(ふせご)の中(うち)にこめたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。
このゐたる大人、
「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。
いづ方へかまかりぬる。
いとをかしう、やうやうなりつるものを。
からすなどもこそ見つくれ」とて立ちて行く。
髪ゆるるかにいと長く、目安き人なめり。
少納言乳母(せうなごんのめのと)とぞ人言ふめるは、この子の後ろ見なるべし。

[現代語訳]

(尼君が)「何事ですか。子どもたちと争いごとをなさったのですか」と(さきほどのかわいらしい女の子に)言う。
(女の子は)尼君を見あげているが、(その顔立ちは尼君と)少し似ているところがあるので、(尼君の)子どもなどだろうと(源氏は)ご覧になる。
(女の子は)「雀の子を犬君(いぬき=遊び相手の女の子の名前)が逃がしてしまったの。
伏籠(ふせご=竹製のかごのこと)の中に入れておいたのに」と言って、とても残念がっている。
近くに座っていた女房が「不注意者がこんな不始末をして、またいつものように叱られる。
本当によくないことですね。
(雀は)どこへ行ってしまったのでしょう。
本当にだんだん愛らしくなってきたのに。
烏などが見つけてしまうでしょう(そうなったら大変です)」と言って立ち上がり(出て)行く。
(その女房は)髪がゆったりとしていて長く、見た目が感じいいようだ。
少納言乳母(しょうなごんのめのと)と、(回りの)人は(この女房のことを)呼んでいるようだ。(少納言乳母は)この子の世話役なのであろう。


 

源氏物語 「藤壺の入内」 現代語訳

[訳:蓬田(よもぎた)修一]

[原文]

源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、
ましてしげく渡らせたまふ御方(おほんかた)は、え恥ぢあへたまはず。
いづれの御方も、われ人に劣らむと思(おぼ)いたるやはある、
とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、
いと若ううつくしげにて、切に隠れたまへど、
おのづから漏り見たてまつる。

[現代語訳]

源氏の君は(父親である帝の)おそばをお去りにならないので、
(帝がときどきお通いになられる方々はもちろんのこと)足繁くお通いになられる方々は、(源氏の君に対して、最後まで)恥ずかしがりとおすことはおできにならない。
どの方々も、自分が人より劣っているとは、どうして思っているだろう(思ってはいない)。
それぞれに大変にすばらしいけれど、多少は年を重ねていらっしゃる。
(それに比べて藤壺は)とても若くきれいげな様子で、一所懸命にお隠れになるけれど、
(源氏の君はその姿を)自然に、物のすき間からご覧申し上げる。

[原文]

母御息所(みやすどころ)も、影だにおぼえたまはぬを、
「いとよう似たまへり」と、
典侍(ないしのすけ)の聞こえけるを、
若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、
「なづさひ見たてまつらばや」とおぼえたまふ。

[現代語訳]

母の御息所(みやすどころ=源氏の母、桐壺の更衣)のことは姿さえも覚えていらっしゃらないが、
「まことによく似ていらっしゃいます」と
典侍(ないしのすけ=宮中の女官をつかさどる役人)が申し上げたので、
(源氏は)幼い心にもたいへんに慕わしくお思い申し上げて、いつも(おそばに)参りたい、
「慣れ親しんで(お姿を)拝していたい」とお思いになる。


[原文]

上も限りなき御思ひどちにて、
「な疎(うと)みたまひそ。あやしくよそへきこえつべき心地なむする。
なめしと思さで、らうたくしたまへ。
つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」
など聞こえつけたまへれば、
幼心地(をさなごこち)にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。
こよなう心寄せきこえたまへれば、
弘徽殿(こきでん)の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、
うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。

[現代語訳]

帝(にとって)も(源氏と藤壺のおふたりは)無限に愛情を注ぐ同士であり、
(帝は藤壺に向かって)「(源氏を)よそよそしくなさらないでください。
不思議なほど(あなたを源氏の母親として)見立て申し上げてもよいような気持ちなのです。
無礼と思わず、かわいがってあげてください。
顔つきやまなざしなどは、(亡き桐壺の更衣と)ほんとうに似ておりましたから、(あなたが桐壺の更衣のように)お見えになるのも、決して不似合いなことではないのです」
などと、(藤壺の耳に自然と入るような感じで)お話しなさるので、
(源氏は)幼な心にも、ちょっとした春の花や秋の紅葉につけても、(藤壺をお慕いしている)気持ちを藤壺が感じられるようになさる。
(帝は藤壺と源氏に)このうえなく好意をお持ち申し上げたので、
弘徽殿の女御は、また、この藤壺の宮ともお仲が険悪なので、
それに加えて、もとからの憎さも立ちあがり、(源氏を)目障りだとお思いになる。

[原文]

世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、
名高うおはする宮の御容貌(かたち)にも、
なほ匂はしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、
世の人、「光る君」と聞こゆ。
藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、
「かかやく日の宮」と聞こゆ。

[現代語訳]

(弘徽殿の女御が)この世にかけがえのないほどとご覧になっていらっしゃり、
世間のご評判も高くていらっしゃる第一皇子のお顔立ちに(比べて)も、
やはり(源氏の)美しさはたとえようがなく、愛らしい様子であるのを、
世の中の人は「光る君」と申し上げる。
藤壺は(源氏と)お並びになって、
(帝の)ご寵愛もおふたりそれぞれ厚いので、
「輝く日の宮」と申し上げる。