源氏物語 「藤壺の入内」 現代語訳

[訳:蓬田(よもぎた)修一]

[原文]

源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、
ましてしげく渡らせたまふ御方(おほんかた)は、え恥ぢあへたまはず。
いづれの御方も、われ人に劣らむと思(おぼ)いたるやはある、
とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、
いと若ううつくしげにて、切に隠れたまへど、
おのづから漏り見たてまつる。

[現代語訳]

源氏の君は(父親である帝の)おそばをお去りにならないので、
(帝がときどきお通いになられる方々はもちろんのこと)足繁くお通いになられる方々は、(源氏の君に対して、最後まで)恥ずかしがりとおすことはおできにならない。
どの方々も、自分が人より劣っているとは、どうして思っているだろう(思ってはいない)。
それぞれに大変にすばらしいけれど、多少は年を重ねていらっしゃる。
(それに比べて藤壺は)とても若くきれいげな様子で、一所懸命にお隠れになるけれど、
(源氏の君はその姿を)自然に、物のすき間からご覧申し上げる。

[原文]

母御息所(みやすどころ)も、影だにおぼえたまはぬを、
「いとよう似たまへり」と、
典侍(ないしのすけ)の聞こえけるを、
若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、
「なづさひ見たてまつらばや」とおぼえたまふ。

[現代語訳]

母の御息所(みやすどころ=源氏の母、桐壺の更衣)のことは姿さえも覚えていらっしゃらないが、
「まことによく似ていらっしゃいます」と
典侍(ないしのすけ=宮中の女官をつかさどる役人)が申し上げたので、
(源氏は)幼い心にもたいへんに慕わしくお思い申し上げて、いつも(おそばに)参りたい、
「慣れ親しんで(お姿を)拝していたい」とお思いになる。


[原文]

上も限りなき御思ひどちにて、
「な疎(うと)みたまひそ。あやしくよそへきこえつべき心地なむする。
なめしと思さで、らうたくしたまへ。
つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」
など聞こえつけたまへれば、
幼心地(をさなごこち)にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。
こよなう心寄せきこえたまへれば、
弘徽殿(こきでん)の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、
うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。

[現代語訳]

帝(にとって)も(源氏と藤壺のおふたりは)無限に愛情を注ぐ同士であり、
(帝は藤壺に向かって)「(源氏を)よそよそしくなさらないでください。
不思議なほど(あなたを源氏の母親として)見立て申し上げてもよいような気持ちなのです。
無礼と思わず、かわいがってあげてください。
顔つきやまなざしなどは、(亡き桐壺の更衣と)ほんとうに似ておりましたから、(あなたが桐壺の更衣のように)お見えになるのも、決して不似合いなことではないのです」
などと、(藤壺の耳に自然と入るような感じで)お話しなさるので、
(源氏は)幼な心にも、ちょっとした春の花や秋の紅葉につけても、(藤壺をお慕いしている)気持ちを藤壺が感じられるようになさる。
(帝は藤壺と源氏に)このうえなく好意をお持ち申し上げたので、
弘徽殿の女御は、また、この藤壺の宮ともお仲が険悪なので、
それに加えて、もとからの憎さも立ちあがり、(源氏を)目障りだとお思いになる。

[原文]

世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、
名高うおはする宮の御容貌(かたち)にも、
なほ匂はしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、
世の人、「光る君」と聞こゆ。
藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、
「かかやく日の宮」と聞こゆ。

[現代語訳]

(弘徽殿の女御が)この世にかけがえのないほどとご覧になっていらっしゃり、
世間のご評判も高くていらっしゃる第一皇子のお顔立ちに(比べて)も、
やはり(源氏の)美しさはたとえようがなく、愛らしい様子であるのを、
世の中の人は「光る君」と申し上げる。
藤壺は(源氏と)お並びになって、
(帝の)ご寵愛もおふたりそれぞれ厚いので、
「輝く日の宮」と申し上げる。